山口県美祢市美東町から観光・イベント情報と、地域振興に携わる人々の応援を    全国に発信しています
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銅山まつり フイゴ踏み体験
掲載するのが遅れましたが、先日(14日)長登銅山跡で開催された
「第2回銅山まつり」へ行ってきました。
所用があって滞在時間が短かかったのですが、滅多に見ることができない
「銅山まつり」には価値がありました。
第2回銅山まつり当日-1
いろいろな実験や体験メニューがあるのですが、やはり目を惹くのは「古代
銅製錬復元実験」でしょう。
第2回銅山まつり当日-2
「国民文化祭・やまぐち2006」を思い出します。
フイゴ踏みから送られる空気(風)で火が揺らいでいます。
第2回銅山まつり当日-3
なんとも言えない歴史を感じさせますね。
さて今回、飛び入りで参加させていただいたのが「フイゴ踏み体験」です。
第2回銅山まつり当日-4
写真の左側がフイゴ踏みです。タタラとも言います。
見ていると楽しそうですが、踏み続けていると結構重労働であることが
実感できました。これこそ滅多にできない体験です。

時間があれば他にも「古代銅山跡探検ツアー」等に参加してみたかったの
ですが、次回までの楽しみにしておきましょう。
関連リンクはこちらを↓
  □ 山口新聞 >11/15 古代の銅製錬チャレンジ 美祢・長登銅山まつり
  □ ある博物館人の飛耳長目録 > 2009/11/14 古代銅製錬実験
  □ みとう情報ナビ > 2009/10/28 第2回銅山まつり開催告知
  □ みとう情報ナビ > 2009/04/28 長登銅山文化交流館が開館
  □ みとう情報ナビ > 2006/11/05 製錬復元実験成功!

4月25日には「長登銅山文化交流館」が開館しています。
銅山跡や資料などが見学しやすくなりました。ぜひ、お越しくださいませ。
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第2回銅山まつり開催告知
国指定史跡の『長登銅山跡』は日本最古の銅山跡であり、奈良の東大寺
大仏との関係が立証された唯一の場所として知られています。
4月25日には「長登銅山文化交流館」が開館し、多くの方に銅山跡や資料
などが見学しやすくなりました。
開館後、初めての「銅山まつり」を今日は紹介しましょう。
第2回銅山まつり開催告知-1
いつものように転記しておきましょう。
第2回銅山まつり ~古代の銅製錬復元実験を実演~
  日時:平成21年11月14日(土) 10:00~
  場所:長登銅山文化交流館・鉱山跡広場(美祢市美東町長登)
  内容:古代銅製錬の復元実験
・ 1.第8回古代銅製錬復元実験
        ・フイゴ踏み体験
・ 2.銅の溶解・鋳造体験・メダル制作(参加費300円)
・ 3.竹細工・籠づくり体験(参加費無料)
・ 4.炭焼き製炭体験(参加費無料)
・ 5.古代銅山跡探検ツアー
        ・日本最古の大切四号坑などを訪れる2時間コース
・ 6.近世・近代史跡ツアー
        ・明治・大正期の鉱山跡を見学する30分コース
・ 7.各自で探索する銅山クイズ・ウオークラリー
  その他:クイズ・各種バザー・
       紙芝居「奈良の大仏」の上演・美東長登太鼓演奏
  技術指導:植田晃一(日本鉱業史研究会理事)
  主催:銅山まつり実行委員会・美祢市
  共催:幕末長州科学技術史研究会、他


事前申込が必要なものもありますので、参加希望の方はお急ぎください。
また、製錬に利用する銅鉱石を事前に粉砕する作業ボランティアや、
当日の鉱石挿入ボランティア(午後)を募集しています。
第2回銅山まつり開催告知-2
申込・問合せ先は長登銅山文化交流館までお願いします。
地図リンクは↓こちらを(長登銅山広場)
 Mapion
関連リンクはこちらを↓
  □ みとう情報ナビ > 2009/04/28 長登銅山文化交流館が開館
  □ みとう情報ナビ > 2008/03/10 銅山まつりが開催されます
ぜびこの機会に、古代の技術を多くの方に見て頂きたいと思います。

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古代日本のハイウエー
今日は久しぶりのテレビ放映情報です。
古代日本のハイウエー~1300年前の“列島改造”~
  チャンネル:NHK BS2
  放送日:平成21年10月12日(月)
  放送時間:午後9:00~午後10:30(90分)
  ジャンル:ドキュメンタリー/教養>歴史・紀行


NHK等の番組予告の内容では、
  今から千数百年前、総延長6300kmにも及ぶ4車線相当(幅12m程)の
  巨大道路ネットワークが敷かれていた!
  今、日本全国で、広くて真っ直ぐな古代の道が次々と発掘されている。
  建設され使われたのは、飛鳥時代から奈良時代にかけてと考えられる
  古代の道、なぜ、こんな広い道が必要だったのか?
  どうやって作ったのか?古代の道の謎に挑むのは、日本考古学協会の
  会員でもある俳優の苅谷俊介さん。
  日本中に張り巡らされていたと考えられる古代の道。
  それは、1300年前の巨大な公共事業だった。
  いったい、どれだけの人が動員されたのか?
  “古代日本のハイウエー”の謎と、その背後の歴史とは。
  知られざる古代日本の姿に迫ります。


発掘事例や道の復元作業などが取り上げられるこの番組に、
美東地区の長登銅山が登場するそうです。
紹介される「古代日本のハイウエー」は「古代官道」とも呼ばれており、
多くの書籍やWebサイトが採り上げています。
この機会に、テレビ放映をお見逃しなく。
地図リンクはこちらを↓(長登銅山)
 Mapion
関連リンクはこちらを↓
  □ 1300年前のハイウエイを探る -古代官道ロマン-
  □ 筑紫文化財研究所 > 2009/10/10 古代官道のTV番組
  □ ウィキペディア(Wikipedia) > 日本の古代道路
  □ みとう情報ナビ > 2009/04/28 長登銅山文化交流館が開館
  □ みとう情報ナビ > 2006/11/06 埋もれた地下の正倉院

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みとう大学歴史講座再開
毎年美祢市では「美祢市民大学講座」と称して、各界の著名人を
お招きして講演会を開催しています。
過去には、福留功男・山田邦子・坂上二郎・石原良純・高橋英樹・
愛川欽也・草野満代など、そうそうたるメンバーが講演をされました。
今年は8月22日(土)に美祢市民館で、元日本ハム監督の大沢親分こと
大沢啓二氏を講師に招いて、講演会を実施する予定でした。
が、大沢啓二氏の都合により、急遽中止になりました。残念ですね。

さて、美東地域では長きに渡って『みとう大学歴史講座』を開催して
います。今日は、1年ぶりに再開される講座の紹介をいたしましょう。

市町合併などで平成20年度に休止していました「みとう大学歴史講座」を、
このたび『長登銅山文化交流館』の開館に伴い、地域文化振興のため、
再開することとなりました。
(主旨より抜粋)
■第29期「みとう大学歴史講座」学級生募集
  会場:美東センター 及び 長登銅山文化交流館
  講座一覧:
    ○平成21年8月20日(木)13:30~16:00 美東センター
       内藤氏と岩永・綾木の大方
        (毛利輝元の祖母と従兄妹の生きた時代)
    ○平成21年9月10日(木)13:30~16:00 美東センター
       美祢市の文化財の見どころ
        (新市の主な文化財を紹介)
    ○平成21年10月22日(木)13:30~16:00 美東センター
       長州藩銭座と寛永通宝
        (銭屋千軒のにせ金作りを探る)
    ○平成21年11月8日(日)予定 13:30~16:00 美東センター
       大田・絵堂戦を語る
        (講師:一坂太郎氏予定、「萩ものしり博士検定講座」共催)
    ○平成21年12月17日(木)13:30~16:00 長登銅山文化交流館
       大田・絵堂戦秘話
        (戦争に参戦した人々・秘話を紹介)
    ○平成22年1月21日(木)13:30~16:00 長登銅山文化交流館
       毛利氏の鉱山経営
        (美祢市の鉱山を中心として)
    ○平成22年2月18日(木)13:30~16:00 長登銅山文化交流館
       大田雨乞山と道人の墳
        (雨乞いさんさ時雨、町内の雨乞い行事)
  会費:7回講座 2,500円
  申込み先:美東センター・町内各公民館・長登銅山文化交流館
  申込締切:平成21年8月15日(土)まで
  主催:美祢市教育委員会・長登銅山文化交流館


受講資格として、美祢市民に限られているのか市外県外の方もOKなのか
案内文からは判断できませんが、受講したいとお思いの方は、ふるって
ご参加下さい。日本の歴史上、貴重な郷土の歴史です。
できれば、若い方々に多く受講して欲しい内容ですが、平日の昼間に
開校っていうのが私たちには少々ネックですね・・。
地図リンクはこちらを↓(美東センター) ↓(長登銅山文化交流館)
       Mapion        Mapion
関連リンクはこちらを↓
  □ 美祢市HP > 社会教育課 > 美祢市民大学講座

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鞍馬天狗の墓がある?
「みとう史跡・名勝ガイド」によると、長登に鞍馬天狗の墓があるそうです。
この情報は何年も前から知っていたのですが、場所が示された所は現在
工事中の小郡萩道路の真ん中辺りです。取り壊されたのか移設されたの
かも分からずに年月を経ました。最近になって文献から、墓は移設された
ことを知りましたので、今日はこのお墓を紹介しましょう。

今日の記事をアップするにあたり、美東町文化研究会発行の「ぶんかねっ
No.7」から「美東町の隠れた名勝を訪ねて」を引用させて頂いています。
青文字はすべて引用文です。文字や句読点もそのままに転記しています。

まず鞍馬天狗についてですが、大佛次郎の大正・昭和期における時代小
説、およびその主人公の名前だということはご存知の方も多いと思います。
幕末期を舞台に「鞍馬天狗」を名乗る勤王志士の活躍を描いたもので、大
衆小説の代表作と言われています。何度も映画化され、特にアラカンこと
嵐寛寿郎が主役の映画作品は有名ですね。
嵐寛寿郎の鞍馬天狗
作者の大佛[仏]次郎(おさらぎじろう)が作り上げた鞍馬天狗は、普段は
倉田典膳(くらたでんぜん)と名乗っています。もちろん小説ですから架空の
人物です。ですが、この倉田典膳=鞍馬天狗にはモデルになった人物が
いるそうです。その方のお墓が、長登にあるというわけです。
  「倉田天膳」ですが、幕末に活躍した「福原乙之進信冬」がモデルとも
  いわれています。乙之進は、長登の福原家(萩藩五十石取り)の長男と
  して生まれましたが、維新の動乱期には久坂玄端らと、長井雅楽(なが
  い・うた)の暗殺を謀ったり、高杉晋作らと英国公使館を焼き討ちしたり、
  志士間を奔走し、倒幕の策を議して最後は志半ばで自刃しました。
  久坂玄端も慟哭し、彼の死を惜しんだそうです。
  鞍馬天狗の原作者大仏次郎先生が来町された際、この「福原乙之進」
  が、鞍馬天狗のモデルとしてはもっとも有力な人物の一人であると
  言われたようです。

で、長い間探していたお墓の場所ですが、
  乙之進の生家は「長登のしだれ桜」の15mほど西にあり、墓もこの地に
  ありましたが、今は小郡・萩道路用地となり、長登常福寺境内に移転
  し、蝉しぐれの中にひっそりと佇んでいます。

やはり移転されていました。それも何度か訪れたことのある常福寺にです。
早速、時間を見つけて行ってきました。
福原乙之進大江信冬の墓-1
「中国四十九薬師霊場」の第28番札所である薬師堂の左手に、
そのお墓は移設されていました。
移設されてまだ日が浅そうです。(と、言っても年単位ですが)
福原乙之進大江信冬の墓-2
お墓の表面(竿石の正面)には、
  贈従四位 ・・・明治維新の功績により
  福原乙之進信冬神霊
と、彫られています。この文字は私でも何とか判別がつきます。
福原乙之進大江信冬の墓-3
これに対し、側面もしくは裏面には、
  大江信冬行年二十七歳於・・・本名は福原乙之進大江信冬。享年27歳。
  文久三癸亥十一月廿五日・・・天保八年(1837)~文久三年(1863)
  江戸赤坂御門内土井候内・・・亡くなった場所(江戸刈谷藩邸にて)
                 
と、彫られているそうです。擦れて読めない文字がほとんどでした。
享年27歳だったのが衝撃的です。
  本来の墓は東京世田谷の松陰神社の中に、吉田松陰先生の墓に並ん
  であります。松下村塾の門下生ではないのですが、明治維新に功績が
  あったということで、従四位を贈られています。

架空な人物のモデルとはいえ、あの鞍馬天狗のモデルですから、
機会があれば、一度お参りされるのもよろしいかと。
地図リンクはこちらを↓(常福寺)
  Mapion
関連リンクはこちらを↓
  □ 大佛次郎研究会
  □ 松陰神社/吉田松陰先生を祀る東京都世田谷区の神社
     (↑烈士墓碑に福原乙之進大江信冬のお墓があります)
  □ みとう情報ナビ > 2009/05/12 薬師霊場 常福寺

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薬師霊場 常福寺
夕方から久しぶりの雨が降ってきました。
農繁期でもあるこの時期、恵みの雨となるでしょう。

さて、「長登銅山文化交流館」の開館に沸く大田長登地区ですが、この
地区には他にも見所が多くあります。春は「長登のシダレザクラ(市指定
文化財)」、秋には「明楽寺の大イチョウ(市指定文化財)」が目を惹きます。
「みとう史跡・名勝ガイド」によると、明楽寺の近く、「普門山 常福寺」には
『地蔵菩薩坐像』があるそうですが、普段は拝めないので、今日は視点を
変えて「常福寺」そのものを紹介しましょう。
薬師霊場 常福寺-1
「山門」です。ここで疑問が・・。
なぜ、お寺の門を「山」の「門」と呼ぶのでしょうか。調べてみると、初期の
お寺の多くが山岳霊場にあったことが云われのようですね。平地に建てら
れるようになってからも、「山門」という呼び名が残ったそうです。
薬師霊場 常福寺-2
山門の脇に「戒壇石(かいだんせき)」がありました。結界の石ですね。
写真では文字が読み難いですが、『不許葷酒入山門』と刻まれています。
不許葷酒入山門 [葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず]
  臭いが強い野菜[葱(ねぎ)・韮(にら)・大蒜(にんにく)など]は他人を
  苦しめると共に自分の修行を妨げ、酒は心を乱すので、これらを口に
   した者は清浄な寺内に立ち入ることを許さないということ。
  「葷(くん)」とは、ニンニク・ネギ・ニラ・ラッキョウ・ノビルなど、においが
  強くくさい野菜のことをいい、これらの五つの野菜を五葷という。

戒壇石による結界があるということは、ここが禅寺であることを示します。
薬師霊場 常福寺-3
階段を登ると正面に本堂です。
こうしたお寺には珍しく、出入口が建物(屋根)の中心からズレています。
意図的なのか、偶然そうなったのかは分かりません。
薬師霊場 常福寺-4
扁額には「普門山」とあります。
  「普門山」とは私たちが住む、この世をさす名称で、出口もなければ
  入口もない世にあって、普く随所において門となすのが仏門です。

薬師霊場 常福寺-5
本堂の左手には薬師堂があります。
これが「中国四十九薬師霊場」の第28番札所です。
中国四十九薬師霊場
  第28番 普門山 常福寺(じょうふくじ):曹洞宗
  山口県美祢市美東町長登481

平成9年に開創された新しい霊場ですが、札所・寺院はそれぞれ古くから
薬師信仰を伝えてきたお寺です。
薬師堂には「一に○の紋」、一畑薬師の紋がありました。

美東地区には「中国四十九薬師霊場」の他、「長門三十三観音霊場」も
あります。気候の良いこの時期に、巡ってみるのは如何でしょうか。
地図リンクはこちらを↓(常福寺)
  Mapion
関連リンクはこちらを↓
  □ 真言宗 御室派 薬師寺 >中国四十九薬師霊場一覧
  □ しぇるぱ散らし踏み >中国四十九薬師霊場巡拝 >第28番常福寺
  □ 一畑薬師(総本山一畑寺)公式HP
  □ みとう情報ナビ > 07/11/22法香院観音堂(長門三十三観音霊場)

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第8回歴史講演会
『「大田・絵堂の戦い」を顕彰しよう会』が毎年5月に開催している、「殉難者
供養会」と「歴史講演会」が、今年も開催されます。
平成14年から始まって、今年で8回目です。
今日はこの歴史講演会を紹介しましょう。
第8回歴史講演会
読めるとは思いますが、検索にかかるよう、転記しておきましょう。
第8回歴史講演会
  日時:平成21年5月24日(日) 13:40~15:30
  場所:美祢市美東センター(旧美東町民センター)大ホール
  演題:生き方の鑑としての歴史 PartⅡ
  講師:占部賢志氏(福岡県立高校教諭・NPO法人「師範塾」塾長)
  料金:聴講無料
  主催:「大田・絵堂の戦い」を顕彰しよう会
  後援:美祢市・美祢市教育委員会
 ※講演に先立ち13:00から「大田絵堂戦没殉難者供養会」も営まれます。

主催者側の主旨としては
  明治維新の重大な契機となった「大田・絵堂の戦い」を郷土の歴史と
  して検証・顕彰するとともに、その歴史の知恵からよりよき明日の
  地域や歴史教育の大切さを考えてみよう。

と、言うことなんだそうです。
美祢市美東町は『 明治維新発祥の地 』と称されていますが、吉田松陰を
生んだ萩市や、高杉晋作が決起した功山寺のある下関市などと比較すると
いまひとつ認知度は低いように感じます。(かなり低いです。)
これを機会に、多くの方に美東をもっと良く知って頂きたいと思います。
地図リンクはこちらを↓(美祢市美東センター:旧美東町民センター)
  Mapion
関連リンクはこちらを↓
  □ 山口敏昭 > 大田・絵堂の戦いを顕彰しよう会

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綾木八幡縁起絵巻
昭和の日。
今日からゴールデンウィークの休みに入られる方も多いかと思います。
この辺りでも他府県ナンバーの車やバイクを多く見かけますが、安全運転
で美東・秋吉台地域を堪能して欲しいと思います。

さて今日は昨日の内容に関連して、長登銅山文化交流館で見つけた
(展示されていた)絵巻の紹介です。
綾木八幡縁起絵巻
綾木八幡縁起絵巻
  美東町綾木八幡宮に伝わる絵巻で、上巻約21.8m、下巻約17mの
  絵巻で、奥書によると永禄四年(1561)の制作である。
  時代背景から滝ノ下緑青が使用されたと考えられる

横にあった説明書きを転記させて頂きました。

こうした絵巻は通常、施設の奥で保管されていて、そう簡単に見る機会は
ありませた。ここで見れるとは思っていませんでした。
美祢市指定文化財 絵画「紙本着色綾木八幡縁起絵巻 附 納箱」
                         画像出典:みとう史跡・名勝ガイド
美祢市HP > 教育委員会 > 指定文化財一覧からの転記です。
■美祢市指定文化財 絵画「紙本着色綾木八幡縁起絵巻 附 納箱
  指定年月日:平成2年3月20日
  所在地:美祢市美東町綾木
  概要:絵巻は、紙本・巻子装で上下2巻から成り、上巻は縦33.2cm、
    横2185.3cmで、料紙45枚。「八幡大菩薩愚童訓」や神功皇后の
    三韓征伐にまつわる物語を記す。下巻は33.2cm×1695.5cmで、
    料紙37枚に神功皇后の三韓からの凱旋、応神天皇の誕生と即位、
    天皇の出離と神格化などを書き描く、永禄4年(1561)に完成された
    縁起絵巻です。納箱は、領主の毛利就信が明暦2年(1656)に寄進
    したものです。

県下でもかなり古いものだそうです。
ちなみに、下巻の長さが「みとう史跡・名勝ガイド」では169.5cm
「美祢市HP > 教育委員会 > 指定文化財一覧」では1695.5cmでした。
どちらが正しいのでしょうか。(料紙の枚数から考えて後者かと・・)
「長登銅山文化交流館」へお立ち寄りの際は、この絵巻もぜひご覧下さい。
地図リンクはこちらを↓(長登銅山文化交流館)
Mapion
関連リンクはこちらを↓
  □ 美祢市HP > 教育委員会 > 指定文化財一覧

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長登銅山文化交流館が開館
秋吉台サファリランドのキッズサファリがフルオープンする前の日、24日に
美祢市『長登銅山文化交流館』の竣工式が行われました。
昨日アップした記事の続きですが、キッズサファリを堪能した後、一般公開
初日の長登銅山文化交流館を見学してきました。

4日遅れですが、今日はこの様子を紹介しましょう。
長登銅山文化交流館-0425-1
平成15年7月25日に国指定史跡となった「長登銅山跡」。
平成元年から10年間発掘調査が継続され、その調査結果は、我が国の
銅山開発を解明するのに欠かせない資料となり、特に、木簡829点の
出土は貴重(この内223点は山口県指定有形文化財)なものです。
今や、長登銅山跡は、美東のみでなく山口県を代表する遺跡として全国
的に有名となりましたが、反面、莫大な出土資料は倉庫に眠ったままで、
一般に公開・活用されていないのが現状でした。
関係者にとっては、待望の文化交流館(資料館)が完成したことになります。
長登銅山文化交流館-0425-2
パンフレットから借用させて頂きました。(↑クリックすると拡大できます。)
ガイダンスシアター室(アニメタッチの映像で大仏が誕生するまでをわかり
やすく説明。)を取り囲むように、所狭しと資料が展示されています。
長登銅山文化交流館-0425-3
入口から左手、順路の最初です。
奥のコーナーには、ミニ大仏(天平創建時代の30分の1の大仏を復元)が
鎮座しているのが見えます。
右手の開口部は、第2展示室(明治維新コーナー)・第2研修室(付近の
史跡)へと続いています。
長登銅山文化交流館-0425-4
発掘調査コーナーや、1250年前の木簡が展示してあるコーナー。
ほとんどの資料が公開されることなく、倉庫に眠っていたと思うと残念です。
壁一面を使っての説明書きが分かりやすく、初めて訪れる方にも親切です。
長登銅山文化交流館-0425-5
入口にあった「長登銅山跡」の全体模型。秋吉台の広域航空地図とともに、
位置関係がよくわかる、優れものです。以前、当ブログでも紹介した、日本
最大の「酸化銅・鉛鉱石」も公開されています。
やはり目を引くのは・・
長登銅山文化交流館-0425-6
ミニ大仏でしょう。
平成18年、第21回国民文化祭で天平時代のミニ大仏が制作されましたが、
NHKのご厚意で旧美東町に寄贈された大仏です。
この復元に関しても何度か紹介させて頂いていますので下記のリンク先、
もしくは、右カラムのブログ内検索から「長登 大仏 製錬」等でご覧下さい。
展示品には大仏殿や人物の大きさが比較できる工夫もされていました。
長登銅山文化交流館-0425-7
こうした展示施設には珍しく、コーナーによっては展示物の上にガラスが
覆われていませんでした。ガラス越しではなく、生で見れる醍醐味もあるの
ですが、埃の蓄積や勝手に触ってしまうのではないかと、要らぬ心配もして
しまいます。「触りたい!」という衝動に駆られた方は、触れる展示品コーナ
ーもありましたので、こちらで質感・重量感を実感して欲しいと思います。

『長登銅山文化交流館』が開館しました。
さあ、ここからです。
展示施設を造って資料を公開するだけでは、終わりではありません。
秋吉台エコツアーの拠点のひとつとして、また、長登銅山を核とした文化の
交わる館として、多方面での活用を期待しています。
子どもたちにも、素晴らしい歴史と文化が身近にあること、それを誇りに思え
ること、そして後世に伝えることが「長登銅山文化交流館」の使命のひとつ
だと思っています。
地図リンクはこちらを↓(長登銅山文化交流館)
Mapion
関連リンクはこちらを↓
  □ カルストドットコム美祢市観光サイト
  □ カルストドットコム美祢市観光サイト > カルスト日記(ブログ)
  □ 山口新聞 > 04/25 長登銅山の歴史網羅 文化交流会館オープン
  □ みとう情報ナビ > 2008/12/12 長登銅山文化交流館上棟
  □ みとう情報ナビ > 2007/10/19 日本最大の「酸化銅・鉛鉱石」公開
  □ みとう情報ナビ > 2007/08/10 奈良登ミニ大仏公開
  □ みとう情報ナビ > 2006/11/06 埋もれた地下の正倉院

営利施設ではありませんが、入館料等の施設情報を追記しておきます。
長登銅山文化交流館
  場所:山口県美祢市美東町長登610番(上記 地図リンク参照)
  開館時間: 9:00~17:00 (ただし、入館・映像上映は16:30まで)
  休館日:年末年始と毎週月曜日
        (月曜日が祝日の場合は開館で、火曜日が休館)
  入館料:個人(1名様):一般 300円 小・中学生 150円
        団体(20名様以上):一般 250円 小・中学生 100円
 □施設の概要
   開館:平成21年4月25日(土)
   構造:木造瓦葺平屋建
   床面積:368.92㎡(展示面積:264㎡)
   敷地面積:1,439.38㎡
   総工費:10,500万円

『長登銅山文化交流館』へ、ぜひ一度お越し下さい。

テーマ:山口県 - ジャンル:地域情報

大田高倉三宝荒神尊由来
週末は秋吉台地域でイベントが開催されました。
新聞・テレビ等の報道では、盛況だったようです。
○2月28日(土) 秋吉台野火の祭典(夜の山焼き)
  □ 山口新聞 > 2009/03/01 秋吉台“夜の山焼き”壮大
○3月1日(日) 第1回新市合併記念美祢秋吉台高原マラソン
28日(土)には、大田 高倉山願成寺で「高倉荒神尊祭」も開催されました。
高倉荒神尊祭-1
今日は「祭」の紹介というよりも、『大田高倉三宝荒神尊』の由来に関して
説明板が境内にありましたので、紹介しておきましょう。
大田高倉三宝荒神尊由来
さすがにこの画像の大きさでは読めませんので転記しておきます。
大田高倉三宝荒神尊由来
  三宝荒神とは、大日如来・不動明王・文殊菩薩の三身の合化された
  もので、五穀豊穣・商売繁昌・家内安全・開運増長の諸願を成就し、
  とくに農村においては昔から農家五穀守護の尊神として信仰され、
  また不浄を忌み拂う故に家にあっては、火の神・かまどの神として
  火盗消除のために祀られている。
  当山、高倉三宝荒神尊の伝承の由来は、推古天皇5年2月、朝鮮、
  百済国の第三皇子・琳聖(大内家開祖)が、聖徳太子に教えを乞うべく
  来朝せられし折、平素から信仰されている高倉山の三宝荒神尊像を
  守護神として奉戴し周防国多々良浜(現防府市)に到着され、一宇を
  建立し安置されていたものと伝えられている。
  その後、大内家十一代茂村公にいたり、吉敷郡恒富村毘沙門山に移し
  公、自ら開祖となり願成寺を創立し、大内家の祈願所となったが、星霜
  流転、明治維新の廃仏棄釈の法難にあい、頽廃していたのを、山口市
  鳴瀧奉雲寺住職瀧断泥和尚が、これを痛く嘆き当寺開山自看老師と
  万端辛苦のすえに、明治11年9月にこの裏山、龍華山に三宝荒神尊
  像を遷座し、地名を高倉山と改め当地に願成寺を再興した。
  毎年2月28日を大祭日となし、近郷市町村から多くの信者の参詣で
  賑い荒神信仰の霊地として今日に至っている。
  なお、荒神尊・御神像の御開帳は25年目ごとに行われ、脇神とし
  不動明王毘沙門天が安置されている。
  毘沙門天像は、約700年前の作といわれ極彩色と彫刻美は時代の
  特徴をよく現わし町指定文化財となっている。


この中に出てきた「荒神尊・御神像の御開帳は25年目ごとに行われ・・」は
2015年だそうです。(それまで当ブログは続いていない気もしますが・・)
また、文末の「毘沙門天像」についてはリンク先を参照して下さい。
地図リンクはこちらを↓(大田 高倉山願成寺)
  Mapion
関連リンクはこちらを↓
  □ みとう情報ナビ > 2007/03/19 高倉荒神新社殿
  □ みとう情報ナビ > 2007/01/22 毘沙門天立像

テーマ:山口県 - ジャンル:地域情報

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