FC2ブログ
山口県美祢市美東町から観光・イベント情報と、地域振興に携わる人々の応援を    全国に発信しています
大田・絵堂の戦い①
美東の歴史を振り返ると、大きく二つの事柄に代表されるでしょう。
奈良時代から昭和35年まで採掘された日本最古の銅山跡であり、
現在は国指定史跡の「長登銅山跡」。
そして、明治維新に大きな影響を与えた『大田・絵堂の戦い』の二つです。

『大田・絵堂の戦い』に関しては各所に多くの歴史的遺産があり、
今も訪れる人が絶えません。歴史は広く、そして深い内容のため、
ブログ(日記形式)で簡単に取り上げられる内容ではありません。
ですが、美東の色々な情報発信サイトとしては、
ぜひ知って頂きたい歴史のひとつです。
とは言っても、秋吉台や景清洞・大正洞と同じく、多くの人が詳細な
内容を各Webサイトで公開されています。
同じ内容になるかも知れませんが、私なりの感想を含めて、
機会をみて少しずつ紹介していきたいと思います。

まず概略ですが、「タウンネットガイド」の山口県美東町【観光情報・
リンク】が、一番分かり易い言葉で書かれていましたので、
「大田・絵堂の戦いって何?」の説明に引用させて頂くと、
 維新への一歩
  池田屋騒動の後、「禁門の変」で惨敗した長州に、幕府は第一次長州
  征伐を決定します。そして長州萩藩は、幕府方保守派(俗論派)となり、
  倒幕派は処刑の対象となります。これに対抗するため、高杉晋作が
  長府(下関市)功山寺にて遊撃隊、力士隊と80数名で挙兵、萩藩の
  出先を襲撃するとともに、 各隊に維新への参加を呼びかけます。
  高杉晋作の呼びかけに賛同した、山縣有朋(奇兵隊)らも加わり、
  諸隊(正義派)が美東町大田「金麗社」に集結本陣をおきます。
  一方長州萩藩(保守派)は美東町絵堂に本陣をおき、1865年1月、
  一足先に到着した山縣有朋(奇兵隊)により、絵堂で維新への戦いが
  開戦されます。これが大田、絵堂の戦いです。この戦いが維新への
  最初の戦いであり、高杉晋作ひきいる諸隊(正義派)が勝利し、
  長州藩は倒幕方向へまとまり四境戦争へ、歴史は明治維新へと
  大きく動きだします。「明治維新へ」という歴史のなかでは、
  美東町大田、絵堂は最も重要な地と言えます。

歴史が苦手な人(私もそうですが・・)でも、分かり易かったでしょうか。
全体の戦いの流れを地図で見てみましょう。
大田・絵堂戦役要図
美東町教育委員会作成の分かり易い「大田・絵堂戦役要図」です。
今後、これをベースに紹介したいと考えています。
関心のある方はこちらを↓
  □ 防長墓城掃苔録 > 戦場総覧 > 大田・絵堂の戦い
  □ 幕末京都 > 絵堂・大田の戦
スポンサーサイト



テーマ:山口県 - ジャンル:地域情報

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック