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山口県美祢市美東町から観光・イベント情報と、地域振興に携わる人々の応援を    全国に発信しています
赤間関街道 中道筋①
昨日のブログで、美東の歴史を振り返ると「長登銅山跡」と「大田・絵堂の
戦い」の二つが特筆する内容だと書きましたが、もうひとつあります。
出来事とは少し違いますが、歴史の道『赤間関街道 中道筋』です。
これも多くの人が詳細な内容を各Webサイトで公開されています。
全体地図や実際に歩いて集めた人の情報が掲載されていますので、
ぜひ参考にして下さい。(下記リンク先参照)

「赤間関街道」は城下町・萩と、当時最大の港町であった赤間関
(下関市)を結ぶ、いわば幹線道路。(下関市は1889年(明治22年)、
赤間関市(あかまがせきし)として市制施行。)
かつては沿線に長州藩銭座(貨幣鋳造所)が設けられたことで栄え、
人や物産の交流の要路としてにぎわいをみせていました。
また、幕末期には吉田松陰や高杉晋作、伊藤博文、山県有朋などの
維新の志士たちが幾度となく駆け抜けた道です。

「赤間関街道」には、萩から山間部を下関へ至る「中道筋」、萩から長門
海岸沿いを下関へ至る「北浦道筋」、北浦道筋の途中から山間部へ入り
「中道筋」と合流する「北道筋」、という三つの街道があったそうです。
中でも「中道筋」は最も重要な街道で、北部では「萩往還」と合流し
南部では「山陽道」と合流しています。

美東を抜ける『赤間関街道 中道筋』は、平成8年に文化庁が選定した
「歴史の道百選」に選ばれています。全国75ヶ所の街道のひとつです。
山口県からは『萩往還(萩市~防府市)』と『赤間関街道 中道筋』の
2ヵ所が選定されました。選定範囲は、「中道筋」のうち美東町と
旧旭村の境に位置する雲雀峠から、秋芳洞への入口にあたる秋芳町
広谷までの区間です。
ちなみに「歴史の道百選」の選定条件は、各都道府県の推薦に基づき、
 1.明治時代以前に活用されていた。
 2.道形が良好な状態で残っている。
 3.複数の地域にまたがる連続性がある。
だそうです。歴史の道としての価値を認めて頂きました。
赤間関街道 中道筋
今では歩く人もほとんどいない街道ですが、昔の面影を残しています。
今日は、その中のひとつ『下の垰(しものたお)の道標』を紹介しましょう。
下の垰(たお)の道標
道標には「左大田 右せき みち」と刻まれています。
ここが下関方面(赤間関街道)と大田方面(堪場道)の分岐点でした。
地図
大田・絵堂の戦いの激戦地となった道でもあります。
大正元年、乗合自動車が運行し、昭和2年(1927年)までは
小郡-萩間の主要道だったそうです。
赤間関街道と大田方面の分岐点
時代は移り変わり、現在は旧中道筋をまたぐかたちで、
小郡萩自動車道が建設を進めています。工事によって、
『赤間関街道 中道筋』が破壊されないことを願っています。
地図リンクはこちらを↓(下の垰の道標)
Mapion
関心のある方はこちらを↓
  □ 山口銀行 > ふるさと地域情報 > Vol.05 春寒の「歴史の道」を歩く
  □ 写真紀行★風に吹かれて > 風景への旅 > 旧街道を歩く
        > 赤間関街道 中道筋(1)旭村明木~美東町大久保台
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テーマ:山口県 - ジャンル:地域情報

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