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大田・絵堂の戦い②
『大田・絵堂の戦い』に関しては各所に多くの歴史的遺産があり、
今も訪れる人が絶えません。記念碑や墓などが多いなか、
戦いに使用された火縄銃やミニエール銃などが今も残されています。
(大田の町民センターに展示されています。)
その中でも、今日は歴史の証人『萩政府軍本陣跡門』を紹介しましょう。
この門が有名なのは、当時そのままの門柱に諸隊が夜襲した時の
弾痕が残っているからです。
俗論党本営の扉(旧柳井家)
上記の写真は、絵堂開戦の折、萩政府軍(俗論党)粟屋帯刀が
実際に本陣を置いていた旧柳井氏宅です。
現在は「絵堂戦跡記念碑」のそばへ、そのまま移設されています。
現在の萩政府軍本陣跡門
  粟屋帯刀の前軍は26日萩を進軍し、28日絵堂に駐屯。
  明けて慶応元年(1865)正月6日夜半、諸隊は伊佐を進軍。
  赤間関街道を通り、翌7日未明絵堂に到着すると、粟屋帯刀の
  本営に戦書を投げ込んだ直後奇襲。
  山県の作戦は成功し粟屋帯刀は明木まで敗退。

これが、絵堂の開戦(慶応元年(1865)1月7日未明)です。
『萩政府軍本陣跡門』説明文
注目すべきは銃弾痕です。
現在もはっきりと確認できます。
俗論党本営の銃弾痕
歴史の証人です。
本陣跡の門は、木洩れ日の射す場所で、静かに佇んでいます。
地図リンクはこちらを↓(萩政府軍本陣跡門)
  Mapion
関連リンクはこちらを↓
  □ 防長墓城掃苔録 > 戦場総覧 > 大田・絵堂の戦い
  □ 幕末京都 > 絵堂・大田の戦
  □ みとう情報ナビ > 2007/02/27 大田・絵堂の戦い①
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テーマ:山口県 - ジャンル:地域情報

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