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赤間関街道 中道筋②
昨日の曇り空が嘘のように晴れ上がった今日、
美東町の五つの小学校で卒業証書授与式が行われました。
卒業していく各小学校の児童たちは、ひとつの中学校へと集います。
夢多き十代。大いに勉強やスポーツ、友だちとの時間を
満喫して欲しいと思います。

さて今日は、『赤間関街道 中道筋』の第二弾です。
「歴史の道百選」に選ばれている『赤間関街道 中道筋』の範囲は、
美東町と旧旭村の境に位置する雲雀峠から、秋芳洞への入口にあたる
秋芳町広谷までの区間だと、以前紹介しました。
その秋芳町広谷にある秋芳稲荷宮の前にこんな看板があります。
歴史の道(松蔭の道)
かなり汚れていて読みにくいのですが、転記すると
 歴史の道(松蔭の道)
  藩政時代、藩主の居城が萩にあったことから萩城を起点として
  藩内の交通網が発達した。この赤間関街道もその一つで、
  萩と赤間関(今の下関)を結ぶ重要な街道であった。
  往年、武士や庶民そして又、憂国の志を抱いた維新の武士達は
  どんな思いで歩いたことでしょう。吉田松陰が二十一歳の時、
  萩から九州遊学の旅をしたのもこの街道であった。
  このたび、この赤間関街道を調査し「歴史の道(松蔭の道)」として
  修復整備したものである。

 吉田松陰の西遊日記には次のように記されている。
   嘉永庚戌(嘉永3年、1850年)8月25日、晴早発(従者、新助と
   二人旅である)。械ヶ坂(かせがさか)を越えて夜明く。
   明木より右折して馬関(下関市:当時、赤間関)の道に就く。
   是れより雲雀山迄には石径通じ難し(石ころ道で歩きにくい)。
   絵堂村以西は土地較可なり。
   到る所畠作の物をみるに、甚だ不景気なり、蕎麦(そば)を最とす。
   其の他吉貝(きっぱい)・牛蒡(ごぼう)・蘿蔔(らふく)の類(綿・
   ごぼう・大根のこと)、皆然り。稲は却って可なり。
   然りと雖も、是れ亦見るに忍びざる所なきにも非ず。
   絵堂・秋吉・岩長(秋芳町大字岩永本郷)・河原(美祢市伊佐町
   河原)の数駅を経て四郎ヶ原駅に宿す。
   時に日僅かに三竿(午後5時前頃 萩から四郎ヶ原まで約50km)。

吉田松陰の通った道、歴史の道です。
次回は、ここから大久保台の石畳を目指します。
地図リンクはこちらを↓(秋芳町広谷)
Mapion
関連リンクはこちらを↓
  □ みとう情報ナビ > 2007/02/28 赤間関街道 中道筋①

参考までに吉田松陰の「西遊日記」の原文は
  嘉永庚戌八月廿五日  晴。早発、械ヶ坂ヲ越テ夜明ク。
  明木ヨリ右折シテ馬関ノ道ニ就ク。是ヨリ雲雀山上迄ハ石径通ジ難シ。
  絵堂村以西ハ土地較可ナリ。到ル所畠ノ物ヲミルニ、甚ダ不景気ナリ。
  蕎麦ヲ最トス。其他、吉貝・牛蒡・蘿蔔ノ類、皆然リ。稲ハ却ッテ可也。
  雖然り、是亦見ルニ忍ビザル所ナキニモ非ズ。
  エド絵堂・秋吉・岩長・河原ノ数駅ヲ経テ、四郎ヶ原駅ニ宿ス。
  時ニ日僅カニ三竿。

とても21歳の青年の文ではないなと感心してしまいます。
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日本の城を網羅した2巻セット(東の旅・西の旅)の本です全国の城を写真で紹介しています
2007/08/02(木) 18:01:05 | みんなのVIDEO
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