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大田・絵堂の戦い⑦
先日、奇兵隊本陣跡である金麗社を紹介しましたが、今日は金麗社に
ある、町指定文化財『奇兵隊献納石燈籠』を紹介しましょう。
奇兵隊献納石燈籠-1
金麗社の鳥居手前に一対あります。(掲載の写真は左側の燈籠全景)
正式な呼び名が「奇兵隊献納石燈籠」なのか、説明板に表題のある
「奇兵隊戦勝記念燈籠」なのかは分かりません。
(町指定文化財の登録名は「奇兵隊献納石燈籠」のようです。)
説明板を見てみましょう。
奇兵隊献納石燈籠-2
文字が小さいので転記しておきます。
■大田・絵堂戦役諸隊本陣跡 奇兵隊戦勝記念燈籠
  慶応2年6月幕府は進歩的な長州藩を倒すため、第二次長州征伐
  (四境の役)を行ったが、この時奇兵隊は関門口を守備し、
  高杉晋作指揮のもとに小倉城を落した。
  この燈籠は、小倉延明寺から分捕ったもので、奇兵隊が大田・絵堂
  戦争勝利の記念として金麗社に奉献したもの。
  燈籠の年号に元治4年の銘があるが、この年は慶応3年に当り、
  時の幕府徳川慶喜の”慶応”に応じないという、長州藩隊士の
  心意気がうかがえる。

「分捕った」という表現はどうかと思いますが、どうもその通りのようです。

小倉戦争の戦利品として高杉晋作等が持ち帰った燈籠は他にもあり、
東行記念館に展示されているものと、東行庵の入り口には、同じく小倉城
から戦利品として持ち帰られた一対の灯篭が置かれているそうです。
(リンク先を参照)
奇兵隊献納石燈籠-3
これは右側の燈籠の脚部です。
説明板に写しが書いてありますが、ほとんど判別できません。
奇兵隊献納石燈籠-4
これは左側の燈籠の脚部です。
「元治四年丁卯秋七月立 奇兵隊」と刻まれているそうです。
(なんとなく、削られた形跡があるのは気のせいでしょうか・・)

灯篭の年号に刻まれた「元治4年」の補足ですが、
元治の年号は本来「元治2年」までしかありません。
元治4年とは正確には、慶応3年のことになります。
「慶応」という年号は、徳川「」喜に「」ずるの意を思わせるため、
認めたくなかったためだと言われています。反骨精神の現われですね。
同様の年号を刻んだものが、萩市須佐の「笠松神社」にあるそうです。
(境内の鳥居と「笠松神社石灯篭」に刻まれた元治3年、4年の刻銘)

調べる程に歴史は奥深いモノです。(と、言うか私が知らなさ過ぎか・・)
地図リンクはこちらを↓(金麗社・奇兵隊献納石燈籠)
  Mapion
関連リンクはこちらを↓
  □ 美東町観光課HP > アラカルトみとう > 大田・絵堂の戦役跡
  □ ぶちしものせき > 観光 > 東行庵 > 小倉城の灯籠
  □ みとう情報ナビ > 2007/05/22 大田・絵堂の戦い⑥金麗社
  なお、大田・絵堂の戦い①~⑤は⑥のリンク先を参照して頂くか、
  カテゴリー『学ぶ[歴史探訪]』を参照して下さい。
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テーマ:山口県 - ジャンル:地域情報

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