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大田・絵堂の戦い⑧
今日は、美東町文化財(史跡)の金麗社(大田・絵堂戦役諸隊本陣跡)に
ある『大田邨碑(そんひ)』を紹介しましょう。
大田邨碑-1
大田邨碑そのものを見ていても、私には全然文字が読めません。
傍らに説明板がありました。助かります。
大田邨碑-2
転記しておきましょう。
大田邨碑(大田・絵堂戦役の概要を刻む)
  癸丑(みずのとうし)の歳外艦浦賀に闌入す。此れより海内騒然たり
  ・・(略)・・是に於てか絵堂の戦有り。絵堂の地は拠守するに便ならず。
  諸隊は乃ち陣を大田に転じ数戦捷を奏す。・・(略)・・異日大政
  維新の盛を観るを得たるも、亦未だ嘗って此の役に基づかざるもの
  あらざるなり。…(略)…。

難解な文章ですが、碑文の釈文はもっと長いものです。
美東町教育委員会作成の『明治維新発祥の地「大田・絵堂の戦い」』と
いうパンフレットには、全文が掲載してあります。
(全文を書き写す気力が出ないほど長く、難解な文章です。)
要は、大田絵堂の戦いの概要が刻まれているそうです。

文章も然ることながら、私の目を引いたのはこの「大田邨碑」の建立に
携わった人々です。碑文を造った人と言った方が正しいかも知れません。
全文には、『正三位公爵毛利元昭篆額』とあります。
大田絵堂戦跡記念碑などの題字を書いた、旧萩藩主の毛利元昭による、
篆額の事です。石碑の中で目を引きます。
大田邨碑-3
篆額(てんがく)とは、石碑などの上部に篆書で書かれた題字の事で、
写真の赤丸の事です。「大田邨碑」と題字が刻まれています。

また、『枢密顧問官従二位勲一等子爵 杉 孫七郎』とあります。
杉 孫七郎については以前、句碑の紹介をしましたが、官僚ですが
能書家でもある人です。(せん)とは、詩歌・文章を選び抜いて書物に
まとめることを指しますから、「大田邨碑」の碑文を作成したことになります。

そして、石に文字を刻んだ石工は『東京 井亀 泉』とあります。
ネットで調べてみると、「井亀 泉(せいきせん)」とは酒井八右衛門の
ことであり、明治30年頃だと、名人といわれた二代目八右衛門にあたる
そうです。東京の有名石屋、石匠、名石工と呼ばれていた人です。

碑文の日付は明治39年2月。
昭和58年3月31日に美東町指定文化財(史跡)に登録されました。
地図リンクはこちらを↓(金麗社・大田邨碑)
  Mapion
関連リンクはこちらを↓
  □ すー@ > 金麗社
  □ 幕末維新史跡訪問 > 美東 金麗社 大田屯碑 光明寺他
  □ 幕末京都 > 絵堂・大田の戦
  □ みとう情報ナビ > 2007/04/14 杉孫七郎の句碑
  □ みとう情報ナビ > 2007/05/31 大田・絵堂の戦い⑦
  なお、大田・絵堂の戦い①~⑥は⑦のリンク先を参照して頂くか、
  カテゴリー『学ぶ[歴史探訪]』を参照して下さい。
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テーマ:山口県 - ジャンル:地域情報

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