FC2ブログ
山口県美祢市美東町から観光・イベント情報と、地域振興に携わる人々の応援を    全国に発信しています
平原第Ⅱ遺跡
美東町には地下に眠っている埋蔵文化財(遺跡・塚・古墳等)が
30箇所あると言われています。(みとう史跡・名勝ガイドより)
代表的なものは「長登銅山跡」や「長州藩銭座跡」ですが、
今日は大田平原の『平原第Ⅱ遺跡』を紹介しましょう。
平原第Ⅱ遺跡-1
(↑ 13:平原第Ⅱ遺跡 14:平原遺跡 15:友永遺跡)
「平原第Ⅱ遺跡」の種別は生産遺跡、官衙であり、9世紀の鉛製錬跡と
考えられています。(ちなみに「平原遺跡」の種別は集落跡。)
平原第Ⅱ遺跡-2
説明板の立っている場所の遠景です。
近くに寄って、説明板を撮ってきました。
平原第Ⅱ遺跡-3
掲載した状態では文字が読み難いので、いつものように転記しましょう。
■古代の役所跡 平原第Ⅱ遺跡
  平成6年度に農業基盤整備に先立ち、山口県と美東町の両教育
  委員会が埋蔵文化財発掘調査を実施したところ、今から約1200年前
  (平安時代)の役所(官衙)跡が発見されました。
  堀立柱建物や柵列、井戸、池、炉などの遺構が検出されました。
  とくに建物には2間×9間の廂付きの大型のものがあり、
  その規模の大きさから古代の役所施設と考えられます。
  出土品として当時の食器類である須恵器や土師器の椀や壷、甕等の
  日用品の他、当時は高級品として身分の高い人たちが使用した
  緑釉陶器が県内では珍しく大量に出土しました。
  またフイゴの羽口、坩堝、鉛のインゴット製錬カス(からみ)などがあり、
  当地で鉛の製錬を行っていたようです。
  この遺跡は、北方2kmの地にある日本最古の採銅・製銅所の長登
  銅山跡、あるいは長門国府や美祢郡衙の出先機関と考えられ、
  山口県の古代史、また日本の鉱業史を考える上で貴重な遺跡です。
  なお建物の柱跡や製錬炉は調査後壊さないで
  そのまま埋め戻され保存されています。
                          平成7年 美東町教育委員会

平原第Ⅱ遺跡-4
貼ってある「堀立柱建物復元図」です。

奈良文化財研究所の小池伸彦氏によって、古代の非鉄金属生産の
考古学的研究がなされ、長登銅山跡・平原第II遺跡から出土した
9世紀代の鉛製錬関連遺構・遺物の検討の結果、鉛の製錬工程の
一部について「乾式製錬法」との類似を明らかにし、銅生産では
熔解炉に新たな分類型式を加えることになったそうです。
平原第Ⅱ遺跡-5
(↑「みとう史跡・名勝ガイド」より借用しました。勝手にすみません。)
このような貴重な遺跡ですが、他と同じく、埋め戻されました。
現在の土地所有者の権利があるのでしょうが、せっかく発掘調査した
遺跡を埋めなくてもいいような気もします。
残せばそれだけ維持が大変なのかも知れませんが、勿体ない限りです。
専門家の人だけが知っている遺跡では、意味がないのでは?
と、考えているのは私だけでしょうか。
(埋め戻すが故の、説明板設置なのでしょうが・・)
地図リンクはこちらを↓(平原第Ⅱ遺跡)
Mapion
関連リンクはこちらを↓
  □ 奈良文化財研究所
  □ みとう情報ナビ > 2007/03/18 シンパクの枯大木(神田遺跡)
  □ みとう情報ナビ > 2006/11/25 銭屋鋳銭遺跡とハゼノキ
スポンサーサイト



テーマ:山口県 - ジャンル:地域情報

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック