FC2ブログ
山口県美祢市美東町から観光・イベント情報と、地域振興に携わる人々の応援を    全国に発信しています
長登の由来
『秋吉台リフレッシュパークまつり』が無事に終わったなと
思っていると、すぐさま次のビッグイベントがあります。
10月6日の当ブログでも紹介しましたが、
『第21回国民文化祭 やまぐち2006 in美東町』です。
昨日の山口新聞に、長登古代銅製錬愛好会会長のコメントが
掲載されていましたが、かなりの意気込みを感じます。
古代銅製錬復元実験は、ぜひ成功して頂きたいと願っています。
ちなみに美東町での国民文化祭イベントは11月4日(土) と5日(日)です。
5日(日)のイベントは長登(ながのぼり)の銅山跡で行われます。
現地には案内所を中心に説明看板が多く立てられています。
長登銅山跡:説明看板-1
長登銅山は、7世紀後半から1960年まで操業していたようです。
8世紀初頭から10世紀中ごろまでは、国内最古の官営銅山として
銅を産出し、奈良の大仏や銅貨の鋳造を支えたといわれています。
長登銅山跡:説明看板-2
地名の長登は「ならのぼり(奈良登)」からきているとされています。
その由来になったと思われる、実際に銅を奈良に運んだ記述が、
案内所の中にあるパネルにありました。転記し、ご紹介します。

ならのぼり(奈良登)
奈良の正倉院にある丹裹文書(丹の包紙に再利用)に長門から奈良まで
18t弱の銅が、20日かかって運ばれた記録があります。その記録には
舍人(役人)2人、挟抄(かじとり)4人、水手(こぎて)16人の合計22人が
記録されているので、船2艘で運ばれた事が分かります。船はたぶん
小郡から厚東川河口付近の間の港から出航したと考えられ、瀬戸内海を
東上して大阪湾に至り、そこから淀川・木津川をさか上って、木津から
陸路で奈良坂を越えて奈良盆地に入ったと思われます。
この運送に駆り出された人々は、行きの賃金・食糧は支給されたのですが
帰りは自費で、それも歩いて帰らなければならなかったのです。
大変な宅急便だったといえます。

・・ホント大変そうですね。必要経費は最小限に抑えられていたのでしょう。
歴史を紐解くと、意外に人間臭さを身近に感じさせ面白い発見があります。
地図リンクはこちらを↓
  Mapion
関連リンクはこちらを↓
  □ 第21回国民文化祭・やまぐち2006/美東町
スポンサーサイト



テーマ:山口県 - ジャンル:地域情報

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック