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山口県美祢市美東町から観光・イベント情報と、地域振興に携わる人々の応援を    全国に発信しています
銭屋鋳銭所遺跡
「♪男だったら 一つにかける♪」で始まる銭形平次。
あの銭形平次が劇中で投げるのが江戸時代の通貨「寛永通宝」です。
その寛永通宝を鋳造していた『銭屋鋳銭所遺跡』を今日は紹介しましょう。

「銭屋鋳銭遺跡」とか「長州藩銭座跡」とか呼ばれているようですが、
色々と調べていくと微妙に違います。「みとう史跡・名勝ガイド」にも
分けて記載されています。今日紹介する『銭屋鋳銭所遺跡』は
「長州藩銭座跡」と呼ばれている方です。
銭屋鋳銭遺跡
有名な「銭屋のハゼの木」の横にある説明板です。
銭屋鋳銭遺跡
  寛永13年(1636年)徳川幕府は貨幣制度を制定し寛永通宝を鋳造させ
  ましたが、全国にいきわたらないために、翌14年に長門の銭座として
  銭屋でも貨幣を鋳造し、同17年鋳造禁止の幕府命令が出るまで4年間
  鋳造しました。当時は銭屋千軒とまで言われ繁盛していましたが、
  禁止後も床下や隠れ井戸などで盗鋳していたのが発見され、藩吏に
  よって焼き払われました。今はただ、はぜの木、杉の大木が火災に
  よる枯死をまぬがれ残っています。

    所在地:美東町大字絵堂字銭屋
    出土遺物:土師器・瓦質土器・陶磁器・陶器・銅銭・からみ・
           石製品・金属製品・木製品
    種別:生産遺跡

そしてこちらが「銭屋のハゼの木」から東に200m行った先にある説明板。
長州藩銭座跡
少し文字が小さいので、いつものように転記します。
長州藩銭座跡
  徳川幕府は寛永14年(1637年)、全国八ヶ所に寛永通宝を造ることを
  命じました。そのうちの一ヶ所が長州の銭屋で、「銭屋千軒」と呼ばれ
  すこぶる繁盛していました。寛永17年には、貨幣も行き渡り鋳造停止の
  命がでましたが、その後も隠れて鋳造を行っていたといわれ、銭屋は
  跡形もなく焼き払われたと言い伝えられています。これより西200mの
  地点にある銭屋のハゼの木は、この火災をまぬがれたものといわれ、
  樹令はおよそ300年、根回り4.8mを測り県下で最大級のものです。
  昭和61年に鋳銭所設計の絵図面が発見され、発掘調査が実施され
  ましたが、規模は東西140m、南北100mの二重の塀に囲まれていた
  ことが確認されました。全国でも唯一保存の良い銭座跡です。

    所在地:美東町大字絵堂字銭屋下桑原
    出土遺物:坩堝・砥石・陶器・銭(寛永通宝)
    種別:生産遺跡

この鋳銭所設計の絵図面を詳しく説明したものがこれです。
鋳銭所設計の絵図面
(出典:美東町商工会HP > 美東町の歴史 > 銭屋鋳銭所跡
良く分かります。これだけ貴重な遺構ですが、他の埋蔵文化財同様、
地中(田や畑などの下)に保存されています。
復元施設はありません。
モッタイナイ話ですが、直接空気に触れない地中の方が維持するには
適しているのかも知れません。(単純に復元・維持する予算がなかった?)
長州藩銭座跡-2
(出典:道の駅みとう横「都市と農村交流の館 」)

さて、寛永通宝の補足です。(ネットからの寄せ集め情報ですが・・)
江戸時代の貨幣は、金貨・銀貨・銭貨の三貨と藩札が用いられました。
銀貨を鋳造していた場所は「銀座」と呼ばれ、
銭貨を鋳造していた場所は「銭座」と呼ばれていたそうです。
主な鋳造所は、幕府お膝元「江戸浅草橋場・江戸芝」と「近江坂本」の
銭座でしたが、銭の需要が高まり、水戸藩・仙台藩・松本藩・吉田藩・
高田藩・岡山藩(備前)・長州藩(長門銭屋)・岡藩(豊後竹田)等でも、
幕府の許可を得て銭座を設けて鋳造していたそうです。
これが、説明板にもあるような「全国八ヶ所」と呼ばれている所です。
(安永以後廃止され、江戸のみになったそうですが)
銭貨は年号に関係なく寛永通宝というそうですが、鋳造の時代から
「古寛永」と「新寛永」に分かれます。
「古寛永」には長門銭・備前銭・松本銭・水戸銭・称仙台銭の五つがあり、
銭屋で鋳造されたものは、この「長門銭」に分類されます。
ですが、そこから出土した銭は、毛利家所蔵銭によって長門鋳造として
指摘されていた奇永・麗書・勁文・俯永様・太細様と、毛利家所蔵銭に
含まれていなかった明暦大字であったそうです。
だんだん専門的になってきましたので、この辺りで止めときましょう。

遺跡に関する補足ですが、「美東町銭屋鋳銭所跡発掘調査結果」・
「長門銭屋の鋳銭所跡と問題点」・「銭屋遺跡Ⅰ2004」等、
多くの書籍や報告書にまとめられています。
山口県埋蔵文化財センターが1987年に行った遺跡の発掘調査では、
上記の明暦大字の件を発見したそうですが、2003年に行われた
発掘調査では・・・
  山口県美東町の「銭屋遺跡」で、金属を製錬した炉跡が5基見つかり、
  県埋蔵文化財センターは「寛永通宝を鋳造するための製錬炉だったと
  みられる」としている。同遺跡は江戸時代の代表的貨幣「寛永通宝」の
  鋳銭所だったとされる。
                         京都新聞 > 2003年8月2日付

全国で初めて発見された「寛永通宝鋳造用の製錬炉」を保存する
工事過程がネットに公開されていました。(下記リンク先)

江戸時代、庶民生活に密着した「寛永通宝」が美東で鋳造され、かつ
貴重な遺跡が発掘されたことを、地元民としては誇りに思いますが、
現地に行っても説明板があるだけで、なんとなく寂しい限りです。
地図リンクはこちらを↓(銭屋鋳銭所遺跡)
Mapion
関連リンクはこちらを↓
  □ 鴻池組HP > 技術広報誌「Engineering Topics」398号(2004-9-1)
           > 銭屋遺跡炉跡切り取り保存

  □ みとう情報ナビ > 2006/11/25 銭屋鋳銭遺跡とハゼノキ
  □ みとう情報ナビ > 2006/11/10 銭屋のハゼの木
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テーマ:山口県 - ジャンル:地域情報

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