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来年秋芳洞は開洞100周年
来年、秋芳洞は開洞してから100周年を迎えます。
現在、「開洞100周年記念事業」について、イベントの数・期間・予算等が
検討されていると聞きました。

秋芳洞に関する主な出来事(抜粋)
天正9年(1354年) 秋吉、自住寺開山寿円禅師が滝穴(秋芳洞)にこもり、
            雨乞修法成就して、龍が淵にて入寂した。
明治40年(1907年) エドワード・ガントレット、中目覚氏が梅原文次郎の
             依頼で、滝穴を学術調査する。
明治42年(1909年) 梅原文次郎が滝穴開窟式を主催する。
大正11年(1922年) 滝穴が天然記念物に指定された。
大正15年(1926年) 昭和天皇(当時皇太子)が滝穴に行啓された。
             洞名が滝穴から秋芳洞に改められた。
昭和27年(1952年) 秋芳洞が特別天然記念物に指定された。
平成11年(1999年) 秋芳洞の一番奥の第7新洞と美東町鳶ノ巣奥にある
             葛ヶ穴とがつながっている事が発見され、秋芳洞の
             全長は8700mに達した。
         出典:秋吉台科学博物館 > 秋芳洞に関する主な出来事

もともとは「瀧穴」と呼ばれていた秋芳洞ですが、今を去る654年前に
雨乞いの為、洞窟に篭った寿円禅師が洞内の龍が淵に身を投じられた
事に発し、雨乞いの場として尊ばれてきた神聖な場所だったそうです。
時が経ち、明治37年(1904年)に梅原文治郎氏が鉱山の調査で全国を
飛び回っている中で「瀧穴」の話を聞き、世に紹介し多くの人に鑑賞
させようと開発が始まりました。
そして明治42年(1909年)、一般へ開洞されました。
来年は2009年ですから、ちょうど「開洞100周年」となるわけです。
どんなイベントが計画されるのでしょうか。楽しみです。
私もイベント時には、数年ぶりに秋芳洞へ入ってみたいなと考えています。
地図リンクはこちらを↓(秋芳洞)
Mapion
関連リンクはこちらを↓
  □ 秋吉台・秋芳洞観光サイト
  □ 秋吉台科学博物館
  □ みとう情報ナビ > 2008/04/14 「皇太子殿下行啓記念」碑
秋芳洞
       写真出典:秋吉台・秋芳洞観光サイト > ギャラリー > 秋芳洞
名称についての補足です。
名称について
  洞口に瀧があるために古くから「瀧穴」と呼ばれていたが、1926年5月
  30日、東宮(後の昭和天皇)が行啓の折にこの鍾乳洞を探勝。
  このとき「瀧穴」の名称について東宮が質問したところ、時の山口県
  知事大森吉五郎は、以前から称え伝えた名称であり、その所在地の
  者がかく称えていたと回答。
  すると時の内大臣牧野伸顕から、「瀧穴」とは何だか名実相伴しない
  観があるから何とか名称をつけたらよかろうとの提案があった。
  これに対して大森は、天下に誇るべきこの鍾乳洞にふさわしい名を
  殿下から戴くことは畏れ多いので牧野内大臣から命名していただき
  たいと答えたが、牧野曰く、この「瀧穴」の名は今回の行啓記念に
  殿下の思召によって近く改めて一段の光彩を添えることがよかろう
  とのことだった。
  1926年6月17日、『防長新聞』は「秋吉の滝穴に入江侍従長から
  秋芳洞と命名された」と報じた。
  この報は、当時東京滞在中だった大森から山口県に電報で通達
  されたが、その電文にはただ「あきよしどう」とあるのみで漢字の
  説明がないので「秋吉洞」と命名されたと当初は解釈された。
  しかしこの字の読み方について、念のため折返し知事に照会した結果
  「よしの字は芳なり」との返電があったので「秋芳洞」と書くことが判明
  した。こうして1926年6月23日、大森知事から村長に「秋芳洞」の名が
  伝達された。
               出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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テーマ:秋吉台・秋芳洞 - ジャンル:地域情報

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