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山口県美祢市美東町から観光・イベント情報と、地域振興に携わる人々の応援を    全国に発信しています
大田高倉三宝荒神尊由来
週末は秋吉台地域でイベントが開催されました。
新聞・テレビ等の報道では、盛況だったようです。
○2月28日(土) 秋吉台野火の祭典(夜の山焼き)
  □ 山口新聞 > 2009/03/01 秋吉台“夜の山焼き”壮大
○3月1日(日) 第1回新市合併記念美祢秋吉台高原マラソン
28日(土)には、大田 高倉山願成寺で「高倉荒神尊祭」も開催されました。
高倉荒神尊祭-1
今日は「祭」の紹介というよりも、『大田高倉三宝荒神尊』の由来に関して
説明板が境内にありましたので、紹介しておきましょう。
大田高倉三宝荒神尊由来
さすがにこの画像の大きさでは読めませんので転記しておきます。
大田高倉三宝荒神尊由来
  三宝荒神とは、大日如来・不動明王・文殊菩薩の三身の合化された
  もので、五穀豊穣・商売繁昌・家内安全・開運増長の諸願を成就し、
  とくに農村においては昔から農家五穀守護の尊神として信仰され、
  また不浄を忌み拂う故に家にあっては、火の神・かまどの神として
  火盗消除のために祀られている。
  当山、高倉三宝荒神尊の伝承の由来は、推古天皇5年2月、朝鮮、
  百済国の第三皇子・琳聖(大内家開祖)が、聖徳太子に教えを乞うべく
  来朝せられし折、平素から信仰されている高倉山の三宝荒神尊像を
  守護神として奉戴し周防国多々良浜(現防府市)に到着され、一宇を
  建立し安置されていたものと伝えられている。
  その後、大内家十一代茂村公にいたり、吉敷郡恒富村毘沙門山に移し
  公、自ら開祖となり願成寺を創立し、大内家の祈願所となったが、星霜
  流転、明治維新の廃仏棄釈の法難にあい、頽廃していたのを、山口市
  鳴瀧奉雲寺住職瀧断泥和尚が、これを痛く嘆き当寺開山自看老師と
  万端辛苦のすえに、明治11年9月にこの裏山、龍華山に三宝荒神尊
  像を遷座し、地名を高倉山と改め当地に願成寺を再興した。
  毎年2月28日を大祭日となし、近郷市町村から多くの信者の参詣で
  賑い荒神信仰の霊地として今日に至っている。
  なお、荒神尊・御神像の御開帳は25年目ごとに行われ、脇神とし
  不動明王毘沙門天が安置されている。
  毘沙門天像は、約700年前の作といわれ極彩色と彫刻美は時代の
  特徴をよく現わし町指定文化財となっている。


この中に出てきた「荒神尊・御神像の御開帳は25年目ごとに行われ・・」は
2015年だそうです。(それまで当ブログは続いていない気もしますが・・)
また、文末の「毘沙門天像」についてはリンク先を参照して下さい。
地図リンクはこちらを↓(大田 高倉山願成寺)
  Mapion
関連リンクはこちらを↓
  □ みとう情報ナビ > 2007/03/19 高倉荒神新社殿
  □ みとう情報ナビ > 2007/01/22 毘沙門天立像
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テーマ:山口県 - ジャンル:地域情報

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